ザ・その時決める@ベルリン
〜若さと広さと自由さと〜

ーー魅惑の都市


本当はベルリンに行くはずではなかった。ブログでも書いたが、ドイツは元々ミュンヘンのみをプロジェクトの都市にと選んでいた。しかし、今回このプロジェクトを実行していくうちに、出会う人たちに幾度となく「え、ベルリンには行かないの?ウソでしょ…?信じられない…」という、まるで何かの禁忌でも犯したかのようなリアクションをされ、その度に「この人たちを惹きつけるベルリンという都市はいったいどうなっているんだ?」と疑問がわいた。疑問を抱けば、それに対する答えを見つけないと気が済まない。そう思い、ドイツは結局二都市に分け、ベルリンには17日ほど滞在した。

彼ら彼女らが一斉に述べていた「ベルリンの素晴らしさ」は確かにそこにあった。先進的で前衛的なアートシーン。世界一のクラブカルチャー。ヨーロッパの主要都市とは思えない物価の安さ。どれも確かに魅力的だった。しかし気づいたのは、それらの共通部分である、ドイツという経済大国の首都とは思えないほどの圧倒的な「若さ」と「自由」。そして、その二つを作り上げた「歴史」。今回のプロジェクトを実行する上で学んできた、「都市のソフトパワーというのはハードの部分に大きく影響されている」という事実を、深く感じた都市だった。

町中の壁を彩り、いたるところに溢れかえっているグラフィティとシール。何十枚重ねになっているイベントやライブ告知の張り紙やポスター。3ユーロのケバブ、5ユーロのピザ、月220ユーロの家賃。「ここ、元々なんだったの?」と思わず自問してしまうような場所で展開されるアートギャラリーやクラブパーティ。ベルリンを象徴するこれらの特徴は、それぞれが独自の水脈のように文化の中に広がっているが、基にあるのは同じ水源。順を追って説明したい。



ーー歴史が作った二つの事実


ベルリンに滞在していると感じるのが、その広大さである。この場合、広大さは直接「面積」のことを示している。自分が滞在した都市の中で、ベルリンほど大きいものは、東京とイスタンブール、あとはロンドンぐらいだろうか。ベルリンの外縁を山手線のように回るリングバーンに乗っていると、目的の駅に着くまで半ば永遠に感じられるし、友達に「どこどこで待ち合わせね」と言われたら、平気で小一時間ほどかかることがある。しかし、この「面積の大きさ」こそが重要で、ベルリンをベルリンたるものにしているのである。

まず、単純になぜこんなに都市が大きいかの疑問は、一言「ほとんどヒトラーによるもの」という答えで解決される。ナチスドイツの首都であり、(彼の思惑では)やがで世界の首都となるはずのベルリンは、とにかくその威厳を見せられるように大きくなくてはいけない。そうやって、単純に面積を増やしていっただけではなく、例えば道路なども軍事パレードが行えるように広げていった。こういう積み重ねがあり、ベルリンは巨大都市になっていった。

第二次世界大戦が終わり、ヒトラーは敗北し、ご存知ベルリンは東西に分けられた。西側が民主主義を基礎とした連合軍側、東が共産主義を基礎としたソ連側。ベルリンという巨大都市には、周りを取り囲む壁と、真ん中を東西に分ける壁が作られた。そこからソ連が消滅し、壁が崩壊するまでのおよそ40年強、西と東ベルリンは全く違った成長を遂げた。単純に言えば豊かな西と貧しい東。壁が崩壊した瞬間、東の住民がどういった行動をとったかはいうまでもない。西側に移住したか、都市を囲む壁も無くなったので、ベルリンそのものから出ていった。

ここでベルリンの都市としての特殊性がわかる。元々ヒトラーの手により広大な面積を持っていた都市の半分が、壁の崩壊により一種の無人地域になったのだ。そしてこの、「歴史」というハード面での二つの事実が、今のベルリンの「文化」というソフトの面に多大な影響を与えている。




ーー”SPACE”の力


例えば、この二つの事実で「ベルリンの物価の安さ」の説明がつく。面積が広大な上に半分が無人となれば、「本来、都市では最も確保しにくい『場所』と『空間』が有り余っている」、という信じがたい現象が起こる。そしてそれは今でも、スケールは小さくなっているが続いている。香港やニューヨークのマンハッタンといった、面積に限りがある島や地域に住んでいるものからしてみればあり得ないだろうが、ベルリンでは実際に不動産が余っているのである*。なので、一人、ベルリンで出会った友人がロンドンに引っ越すことになり、フェイスブックで「住んでたアパート貸します。月220ユーロです。(270ドル、3万2000円ほど)」と書いていた時には、「いやいやいや」と思いながらも、「ベルリンならありえるか」とも思った。ロンドンやパリでは友人が「 900ユーロでギリギリ家が見つかった」とか言っているので、その違いたるや。

場所と空間が余っているということで、所有者がいない土地を勝手に占拠し使用する「スクワッティング(= Squatting)」というムーブメントにも火がついた。お金のないアーティストが創作の場所として空き地や空きビルを使用したり、そこでギャラリーを行うことによってアートシーンが活性化した。”RAW-tempel”など、現在でもまだスクワッティングの名残として存在している地域もあり、今ではカフェからロッククライミングジムからセレクトショップまでいろいろとある。クラブカルチャーも同様で、ベルリンのクラブの大半は、以前は「なにか違うもの」だった。川沿いの倉庫、ペットフードの工場、資産家のお屋敷、市営プール…その種類は豊富で、訪れると、音楽だけでなくそれぞれの歴史と特徴を楽しむこともできる**。

有り余る不動産。格安の家賃。住人の多くは収入が少なく、不安定なアーティストやクリエイティブ関連職。ベルリンの物価が安いのは、安い以外が成り立たないからである。ベルリンの壁崩壊から25年経った今でも、街を歩いていて、スーツを着ている人なんてみかけない。金融街なんてあるのだろうか。自分が滞在していた2015年7月、夕方の5時ともなれば上半身裸の若者達が公園でビールを飲みながらフリズビーをしていたものだ。ストックホルムとはまた違った意味で、「お金」に対する価値が非常に少ない都市なのだ。




ーー若者の街と「全家論」


ベルリンに滞在していて気づく特徴は、「広さ」と同様に「若さ」だ。若者がここまで漲っている都市は見たことがない。まるでファンタジーだ。ピーターパンとロストボーイズがみな15歳ほど年をとり、クラブマッチのウォッカ割とハードなエレクトロニカ音楽を嗜み生活しているネバーランド。それがベルリン。若者が、若さと自由を謳歌する都市。ある日、家に帰っている途中、ピルグリムの格好をしている人を見かけた。「嘘だろ」と思い振り返ってみたら、そのピルグリムがすれ違った男性が、アフロを金髪に染めた黒人だった。その黒人の男性、手になにかを持っていた。「ギターかな?」と思って凝視したら、ギターではなく、ギターの形をした、テレビゲーム「Guitar Hero」のコントローラーだった。全てが謎すぎる。このような光景を地元のポートランド以外で見るとは***。

上記の二人組からもわかるように、若さと自由はある意味連立している。そしてこの若さと自由がベルリン中に溢れている。壁という壁はグラフィティまみれ。何重にも重ねられている張り紙やチラシ。町中ゴミだらけーーもはや「ポイ捨て」とかいうレベルではなく、タバコからソファまで、あらゆるものが道端に捨てられている。駅中のATMの上に空き瓶や食べ残しが大量に捨てられたのをみた時に「いよいよだな」と思った。時間帯にもよるが、クラブへ向かう電車の中では、「この車両、30代半ば以上の人が一人も乗ってないのでは?」思い見渡したことがある。そして、その中に一人ほど必ず、シャツを着てなかったり、靴を履いてなかったりする人がいる。

こういった状況を整理しようと試みたところ、以前読んだ「ケータイを持ったサル」という本を思い出した※。その中では「女子高生が電車の中で体育座りしたり化粧したりできるのは、電車の中はもはや家の延長線上という感覚を持っているから」と書いてあったが、それの究極状態がベルリンなのだと思った。名付けるとすれば、「全家論」だろうか。どこにでもゴミを捨てられるのも、どこへ行くにも上裸や裸足でも大丈夫なのも、「街全てが家」という感覚だから。どこへ行ってもホーム。すごいとしか言いようがない。こりゃ、フィットする人間からしたら「ベルリンほどいい都市はない!」となるのも頷ける。



ーー成り続けるということ


「これでも随分変わったよ。街は綺麗になったし、物価も高くなった。明らかな変人も減ったし。」ベルリンの在住歴が10年近く、もしくはベルリン出身の人の話を聞くと、みなこう答える。「昔だったら、シュワルマやフェラフェルに3ユーロ出すとか論外だったもん。」数年しか住んでいない人も、「最近はお店とかに行っても、店員がまず英語で話しかけてくるの!『ベルリンはドイツじゃない』って冗談でよく言われるけど、いよいよ本当にそうなってきたのかも」と嘆いていた。その物価の安さに惹かれ、もしくは世界的なアートやクラブシーン憧れ、さらに最近では多くのベンチャー企業の進出があり****、世界中から大量の若者が集まってきている。

しかし、都市とはそうやって変わっていくもの。ベルリンにはベルリンなりの成長がある。一つ、ベルリン滞在中に気付いたすごく魅力的な部分が、「クラブカルチャーの成熟性」だった。一般的には「未熟」だと感じられるベルリンの若者の日常的行為や行動だが、例えばクラブでは驚くほど成熟した一面を見せる。ベルリンのクラブは基本的に金曜日の深夜から月曜日の朝方までやっているのだが、パワフルな若者はほぼほぼ48時間ぶっとおしでクラブにいる。「どうやってそんなことが可能なのか」と思うが、ベルリンのクラブは出入りが自由、さらに休憩場所なども多く、ただ踊るだけではなく、「そこでくつろげる」スペースとなっている(もちろん薬物の力もある)。踊りたいときに踊り、休みたいときに休み、ご飯を食べたいときには一度店を出る。そうやって週末をクラブで過ごす。とりあえず回転率をあげ、お酒を買わせ、お金を稼ごうとする一般的なクラブに比べると、実に「人間的」。さらにはというと、クラブカルチャーを作っているDJやお客さんのメンタリティーも、実に成熟している。DJがかける音楽も玄人好み、というか実験的なものをかけてもお客さんが受け入れてくれる。また、そのお客さんたち自身も、人種・性別・年齢・服装・思想、全てにおいて実に多様であり、みなお互いを受け入れている。空になったビール瓶はそこらへんに捨てるが、クラブで目の前の男性二人がディープキスをしていても「普通じゃない?」ってなる。こういった、へんてこな方向での民度の成長と成熟。これこそがベルリン*****。

ツアーガイドをやっている友人が述べた一言。”Berlin is often called ‘The city that is always becoming’” (ベルリンは「常になにかに成り掛けている」都市って呼ばれているんだよ)。これは、他のドイツの都市に比べてベルリンはお金がないため、常に至るところで建設工事が行われている事実を指しているのだが、個人的にはそれは文化を指していると思った。クラブカルチャーの成熟しかり、アートカルチャーの推進しかり、ベルリンは常に、なにか面白く、新しいものに「成ろう」としている。「ベルリンは変わってしまった」と住民は言うけど、その変化こそが「成る」過程であり、この街を面白くしている。

ベルリンは次に何に「成ろう」とするのか。楽しみで仕方がない。



*東京でも常に「不動産は買うべきか借りるべきか」の論争はあるか、ベルリンを見ていると「不動産が余っている都市」の状況がよくわかる。

**スクワッティングのスペースもクラブも、今ではちゃんと賃料を払っている。たまに払っていないところが見つかり、臨時閉鎖されている。

***今日本で流行りの僕の地元・ポートランドも変人は多いが、ベルリンとの違いは、やはりベルリンの変人はどこかまだ「オシャレでイケてる」雰囲気が漂っている。ヨーロッパとアメリカの違いか(笑)

****空間が余っていることや賃料の安さは、アート関連だけではなくベンチャー企業にもうってつけ。

*****これはある意味一般的な日本人の真逆で面白いと感じた。日本だったら、ゴミのポイ捨てはしないが、逆に目の前で男と男のディープキスを見たら「なんじゃこりゃああ」ってなる。

※(本自体はほとんどが大した内容ではないので引用は省略する。気になったらググってください。ひどいので笑)