ザ・その時決める@イスタンブール
〜美しく、古き、混沌〜

ーーテーマがない!?


正直申し上げると、イスタンブールのテーマを決めるのにはなかなか苦労した。イスタンブール以前の全ての都市では(そして結果的にはそれ以降も)一週間も滞在すれば、自然と気にかかる、社会的なテーマが見えてきた。しかし、イスタンブールではそうはいかなかった。トルコという国と、イスタンブールという都市で見られるミクロ的な特殊性は日々「これほどまでか!」というほど発見したものの、それらが何らかの共通する事象につながっている雰囲気は皆無だった。「もしかすると、初めて『ザ・その時決める』のエッセイを書けないのでは?」と危惧するほどだった。

しかし、結果的にみれば、現在こうして文章を書いている。なので、何かは発見できた。その何かとは、実は発想の転換により見つけられたものだった。今までの都市では、人と会う時には、ほぼ毎回「◯◯(滞在している都市名)ってどう?」という質問をされ、その度に、テーマとして脳内にフワフワと浮かんでいた自分の考えを返していた。そうすることにより、さらに新しい情報を得ることができ、少しずつ自分の考えを固めることが可能になった。イスタンブールでは、どちらかというと発掘作業だった。出会う友人が述べる一言一言を分析し、共通点を紡ぎ合わせ、テーマを探っていった。そして浮き彫りになったのが、普段の生活で見られる、外部の人間からしてみればなんの変哲もない日常に溢れる特異点だった。実は、テーマは身の回りにあったのだが、それに気づけなかっただけ。発想の転換が必要だったのである。

見つかったものは、全ての都市同様、初めて経験する概念だった。かってに名付けたのが、Old Diversity=「古い多様性」。アメリカやカナダ、オーストラリアのニューワールドは当然として、ヨーロッパの主要都市に存在する多様性もなんだかんだ新しいものであり*1、古い多様性の反対であるNew Diversityだと気付かされたのもこの時だった。そんなことを考えている中、ある知人が述べた一言。12の質問のうちの一つ、「イスタンブールを代表するものは?」への質問に彼が即答した言葉が、”Chaos”だった。カオス、混沌。うん、こっちのほうが「多様性」よりしっくりくる。イスタンブールは「古き混沌」の都市なのだ。



ーー古き多様性


イスタンブールの 紹介ページでも書いたが、やはりイスタンブールの最大の特徴の一つは、その歴史にある。完結にいうと、その古さ。ギリシャ、ローマ、オスマンと、三つの巨大帝国の主要都市として何千年もその存在感を示していた、世界を見ても類を見ない都市である。しかし、イスタンブールに「普通に」滞在していると、おそらくそれを感じることはない。滞在前は、イメージだけで、イスタンブールとは古く美しい建造物やモニュメントに溢れた、中近東版のパリみたいな都市を想像していたのだが、全く違った。坂(というより丘に近い)が多く、高い場所から都市の全貌を見渡すと街が段々となっていて確かに圧巻だが、建物一つ一つは基本的に1950年以降の鉄筋コンクリート系の味気のないものばかりで、お世辞にも「美しい街」とは言い難い*2。ヨーロッパの都市に比べると、例えば観光客としての一見で、その歴史の古さを感じることは難しいと思われる。

しかし、古さは実在している。景観としてそれは見られないかもしれないが、見られる箇所がある。人だ。日本人や西洋人からしてみれば、例えばイスタンブールで人間観察をしてもあまり多様性は感じられないかもしれないが、それこそが”Old Diversity”たる所以である。イスタンブールという都市は、文字通り、ヨーロッパとアジアの境目に存在している。西にはギリシャ、北西にはバルカンの諸国、北東にはロシア、東にはアナトリア、南に行けば中近東。中近東にはエジプトなどの北アフリカ系もいれば、主にアラビア半島のザ・アラブ人もいれば、東トルコからイラクを含めたクルド人もいる。そして、当然だが、「トルコ人」と言われる人もいる*3。しかし、前述のように、日本人や西洋人からしてみれば、この人種や民族の違いなどほとんどわからない。

しかし、だからこそ「古い多様性」なのである。この地域の人間は、深く考えれば考えるほど想像の範疇を超えてくるが、文字通り、「何千年」と混ざり合ってきたのだ。「発想の転換」を意識して行い、この事実に気づいた時は、体中に衝撃が走った。”World in Twelve”の一年を経て、各都市で目の当たりにした「多様性」というものは自分の中で大きなテーマとして育まれていたのだが、今まで経験してきたそれら全てが、イスタンブールの多様性に比べるとまるで生まれたての赤子のように新しいものだと知った瞬間は、本当に言葉につまった。大げさに聞こえるかもしれないが、景色が変わった。メルボルンにアジア人や中近東の移民が来たのがここ数十年。トロントは世界一の多様性を誇る都市だが、カナダが国として存在しているのはここ百年強。大英帝国の首都ロンドンでさえ、世界中から人が集まり、混ざり始めたのはここ数百年。それに比べてイスタンブールは数千年…。

ある日、滞在先の窓からボスフォラスを見渡し思い出した。そうだ、岩明均の名作「ヒストリエ」の主人公であり、ギリシャ人の天才将校・学者のエウメネスがビザンティウムに来たのが紀元前300年だ。2300年前、彼はこの同じ海を、この同じ光景を見ていたのか。身震いがした*4。





ーー隣り合わせの両極


民族だけを取り上げると、イスタンブールのそれは「多様性」で終わる。イスタンブールを「混沌」とするものは、もう一つの重要な要素ががある。宗教だ。ご存知、トルコ自体はイスラムの国だが、イスタンブールは「ヨーロッパとアジアの架け橋」だけあって、西洋的な要素がたくさん見られる。イスタンブールの中でもメジャーな観光スポット、タクシム広場とイシュティクラル通りがあるベヨグル地区は、感覚としては「イスラム圏」ではない。お酒も飲めれば、道行く女性も自由な服装で通りすがる。スーパーではベーコンまで売っている(豚のイラストが添えられてるが笑)。リベラルな感覚をもつ、ミドルクラス以上のトルコ人は、みな「こういったエリア」を活動区域としている。お洒落なカフェ、ギャラリー、バー、ナイトクラブ、雑貨屋、なんでもある。定期的にモスクから流れる祈りの時間のお知らせが唯一、「あ、ここってそういえばイスラム圏なんだ」と思い出させる。

しかし、ちょっと西に行くだけでガラッと変わる。ザ・観光スポット、アヤソフィアとブルーモスク、グランバザールがあるエミノヌ地区からバスで15分ほど西に進めば、保守的なファティという地区に変わる。ファティは同じイスタンブールとは思えないほど、イスラムの色が強い。歩いている女性はみなアバヤを着て、ヒジャブで頭を覆っている。髪を露出している女性は道行く男性に凝視される。「お前、観光客だよな?そうじゃなかったらアウトだぜ」そうでも言わんばかりに。

自分の場合は、「高校がファティにあったから案内してあげるよ」と知人に言われたので色々と見学したのだが、当日ホストに「ファティ」に行くと伝えたら、あまりにもびっくりしたのか、二度見された。「え、ファティ?なんでそんなところに行くの?」モダンダンスの演出家であるホストは、美しくて長い髪を公にし、ダンサー特有の見事なスタイルを見せつけるかのようなピチピチの服装を着て、愛用のジョン・レノン風の丸いサングラスをかけベヨグル地区の道を闊歩する、リベラルなトルコ人女性だ。彼女からしてみれば、ファティに行く意味が全くわからないのだ。このような、両極端な二つの地区が隣同士に存在するのがイスタンブールである。

滞在中にすごく良くしてくれた友人が述べた興味深い一言。「今では結構どこにでも行けるようになったね。どこの場所に行っても、そこの『正しい挨拶』と『何を話せばいいか』がわかってきたから」そう、場所によって「正しい挨拶」と「正しい会話」がある都市。そしてそれらが点在している都市。想像したこともなかった現実がイスタンブールにはある*5。




ーー美は細部に宿る


両極端に見えて、実は水面下ではかなり混ざりあっているーーそれが混沌のレシピなのかもしれない。例えばイスタンブールの保守地区ファティで友人は、以前はカトリックの教会で、現在は無理やりモスクに変えられた建物を案内してくれた。土台はどうみても教会なのだが、上層部にドームを建築し、祈りの時間を放送できるようミナレットを建てた。中に入ってみると、もともとは教会だったので、正面がメッカを向いているわけではなく、絨毯から木のレールまで(そしてもちろんお祈りをしている教徒たちも)、全てがなんの変哲もない建物の角を向いていた。そして、おそらくキリストの像が掲げられていた空間には、伝統的なモスクのデザインが施されていた。

また、ファティの中を歩いているときも、所々で面白い女性を見かけた。バストから上だけをみれば厳格なイスラム教徒なのだが、バストより下をみてみると、あら不思議。おへそを出している女性もいれば、ミニスカートとハイヒールを履いている女性もいた。「え、ファティでこれいいの?」と思ったが(似たようなファションはベヨグル地区ではたまにみた)、おそらく彼女たちの言い分は「最低限のものは守ってるから!」なのであろう。豚肉は食べません、お酒は飲みません、大人の女性なので髪や胸やお尻を見せつけるような服装は着ません、だから、それ以外だったら自由にやっていいでしょう?この考えなのだ*6。

アジア側のウシュクダール地区に面白い場所がある。ネット上でも説明書きがすべてトルコ語なので, もともとなんの空間だったのかは不明なのだが、大きな体育館みたいな場所を、二階建ての図書館兼カフェに変えた、 ”Nev Mekan”というスペースだ。グランドピアノやステージまであるので、おそらく様々なイベントも行えるのであろう。このネヴ・メカン、何が面白いかというと、アジア側のイスラム地区のど真ん中にあるということ。スタイリッシュで今風で、なんなら代官山の蔦屋書店をアラビアンナイト風にアレンジしたようなおしゃれ空間を利用しているお客さんのほとんどが、イスラム教徒。女の子をみてみると、9割がヒジャブをしている(以下の写真では100%)。見た目は宗教色が強くても、中身は普通の若者。女友達と自由に出歩き、おしゃれなカフェでスイーツを食べ、パソコンを開いて提出物のグループワークを行う。これがイスタンブールの美しさなのだな、と感じたひと時だった。

最後に、友人が述べた、今も心に残っている一言を紹介したい。世界三大料理とも呼ばれる、トルコ料理。一ヶ月滞在し、食好きとしてはこれ以上なく刺激的で勉強の日々を送ったのだが、その核心に迫る言葉をその友人から聞いた。「リオ、なんでトルコ人にとって料理と食事がこんなに重要かわかる?食事の時が最も、みんな『同じ』でいられるからさ。各々、食べられるものを食べて、飲めるものを飲む。そしてみんなで楽しむ。食事の時は、民族も宗教も国も思想もないんだ」

通りすがる女性。モスクから響く祈り。口元に運ぶシチュー。古き混沌は日々の細部に潜んでいる。イスタンブールは今日も美しい。


*1:ヨーロッパの多様性の歴史はやはり世界の植民地化とともに歩んでいるので、そこまで古くはない。また、一周してヨーロッパの中での民族や国家の違いと、その混ざり合いを多様性と捉えることもできるが(お互いへの干渉は主に戦争が基本となるが)、それでもやはり紀元前660年からもうギリシャ人の都市として存在する(当時の名前では)ビザンティウムに比べると、やはり若い…。現在トプカプ宮殿が立っている場所には当時アクロポリスが立っていたとか…もはや気が遠くなる。

*2:イスタンブールは世界一モスクが多い都市ではあるので、凡庸的な雑居ビルの間に時たまモスクがあったのが、景観としてはせめてもの救いだった。まあ、結局街並みとかは一週間もすれば見慣れるのだが。

*3:じゃあトルコ生まれのクルド人はなんなのか、といった話はここではしません(笑)一番トルコで敏感な話題なので。「色々いるよ」、というのがこの小節のポイントです!

*4:正確にはこの時ギリシャ人のエメネウスはギリシャの都市に訪れているので、直接的に「多様性の例」ではないのだが、当時から民族の違いなどがあり(それにより奴隷制度などもあり)「混ざり合いはあったよ」…というのはわざわざここで書くことではないな。

*5:この「正しい挨拶」の存在、おそらく西洋人が感覚的に共感できるのは、シカゴの南部のような、住民の99%が黒人の場所だろうか。貧困とギャング抗争が日常で、一般的なアメリカとは根本的に違う独自の言語・風習・価値観があり、それらが解らないと会話すらできない。そのようなことを想像した。

*6:この考え方は厳格な規律があるところではどこでも見られる。「ちゃんと制服着てるんだから、これぐらいいいでしょ」と言ってスカートの丈を短くしたり、髪を染めたりする日本の女子高生と全く同じ。

*7:最後に、友人が述べた「混沌、カオス」の意味合いの中には単純に、イスタンブールの地獄のような交通渋滞や、インフラの整ってなさや、政治や汚職などが含まれている思われるが、今回はそれについては触れない。